プレイステーションの売り上げを決定的にしたのはFF7の発売だったと言うのを聞いた事があるのですがこれは本当ですか?
過去を振り返って数字だけを見比べるとそのようにも思えますが・・・
ハッキリ言ってFF7はPSで「出るべくして出た」ような感じでした。
「もともとあったPS人気にFF7が拍車を掛けた」というのが
当時高校生だった私の印象です。
FF7発売の前年6月に本体が2万円を切りました。これも大きな要因でしょう。
1996年末時点で500万台だった国内生産出荷台数が、
FF7が発売された1997年の年末には1000万台を突破しています。
同じ時期にセガサターンも値下げしていますが、
サターンがその一生で出荷した500万台強を、
PSはFF7がリリースされる以前のおよそ2年間で突破しているわけです。
人気の差はこの時点で明白でした。
FF7発売前の1996年の動向を振り返ると、
3月には『バイオハザード』、『鉄拳2』、
7月には『ポポロクロイス物語』、『刻命館』、
9月には『女神異聞録ペルソナ』、
11月には『ARC THE LAD II』、
12月には『クラッシュ・バンディクー』、『パラッパラッパー』、『ソウルエッジ』
・・・と、メジャータイトルが生まれています。
同年は人気作が3000円を切った低価格で再リリースされる、
「プレイステーション・ザ・ベスト」が初めてリリースされた年でもあります。
ちなみにFF7が発売された1997年1~3月には
『レイストーム』、『IQインテリジェントキューブ』、
『悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲』などもあり、
1997年以降にPSを購入した人はFF7だけでなく、
様々なジャンルで質の高いソフトがリリースされている(今後もされるであろう)
ことに動かされたんだと思います。
スクウェア陣もPS・SS・N64それぞれのユーザーの嗜好や
各ハードの性能、ソフトラインナップを考慮して、
最善と思われるハードにFF7を供給したのでしょうから、
「FF7がリリースされる以前に勝負は決まっていた」というのが
当時を経験した人その大多数の感想ではないでしょうか。
「なんでサターンじゃないの??」なんて驚いた人はいなかったと思いますし・・・
TVCMも他社より抜きん出て洗練されていましたし、
PSロゴや「・・・ポンッ」のサウンドロゴを見聞きしない日はなかったくらいでした。
当初4万円近くした本体価格を2万円まで下げた努力や、
無名ソフトメーカーの新規参入に熱心であったことの結果、
大作メーカーのプラットフォームに対する査定(性能・ユーザー数)をクリアし、
「ソフトがたくさんリリースされる!」「大作も出る!」という地盤の作りこみが
消費者の購入意欲を増進したのだと思います。
当時のFFとドラクエの人気は半端なかったからね(^^;
私も、FF7がPSで発売と聞いて、PS本体を購入しましたw やっぱ、国民的人気ソフトを手にもつハードは、勝つと思いますよ(^^;
もし、FF7やドラクエ7が、当時の任天堂64で発売していたら、任天堂は凄い売り上げを記録したと思います。
今思えばFF7がプレステで出ると発表された時点で勝負ありだったと思います
当時サターンとあまり差がついていませんでしたが、
FF7の発表によってNo.1ハードへの流れが出来ました。
発売より前の発表時点が分岐点でした。
ドラクエ7発表が最後のトドメ。
それまで任天堂ハードで発売していたFFとドラクエが、両方ともプレステで発売されると発表されてから、サターンとの差が開いていきました。
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